【不登校児童出身】むーさんの半生は鬱病だよ「メンタルはマンボウ」

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どーも、こんにちわ!むーさんです。

珍しいブログとして、自分自身について書いてみたいと思います。この話は結構今までも外に出すことはなく、親しい人にもあまり話してこなかったので、重たい部分と、夢を持てる部分があるかと思います!

だって現在は年収で言えば1000万を軽く超える、曲がりなりにも企業経営者です。そんな僕でもメンタルはクソ弱い歴史があるんですよ。

端的に何の話をするかと言うと

うつ病だったんですよねぇ

と言う話です。うつ病でくそ大変だった半生を乗り越えて「社長」になってるので、特定の人にはきっと夢を見てもらえると思ってこのブログを書く事にしました。

現在、僕自身のツイッター(X)上でのキャラとしては

  • 明るいおじさん
  • shopifyの人
  • トライアスロンやってる超人
  • メンタル強くてストイック

なんてイメージが先行していそうですが、実態は全然違います。

出来る人ほどそう言う事言うんだよ

なんて批判も受けそうですが、僕の場合はある程度メンタル弱い事を証明できちゃうんですね。

正直この話をして来なかった事には理由があって

うつ病の話してるフリーランスに仕事なんて振りたくないじゃん

と言う心理が働くだろうから、その話をするのはクソマイナスでしかないと思います。

いまでもこれは間違いなくそうだと思うんですが、30代中盤ぐらいからは安定させる方法もわかってるし、ありがたい事に現在の実績なら公表してもあまりマイナスにならないだろうとは思っています。

人には歴史があるんです。

でも人生40歳から変わる事もあるって事が分かれば勇気が出る人も出てくると思いますので、書いてみます。

うつ病野郎だった歴史

僕のうつ病歴は長いです!

一番最初に発症したのは「中学3年生」の時ですね。この時のうつ病の原因は受験勉強で間違いないでしょう。とにかく「英語」と「国語」の勉強が嫌いでした。嫌いな事をやる事程ストレスフルな事はないです。

うつ病の反動は酷くて、中3の夏休み前ぐらいから明らかにメンタルが不安定になり、2学期からは完全に不登校児童です。

中学3年生にして人生初のドロップアウトですよ。そこから卒業までほぼ中学には行ってません。

そうなると、どうなるでしょう?

当然ですが受験する気力なんて無いので、高校なんていけませんが、母が頑張って色々何とかしようとしてくれたおかげで「通信制高校」と「サポート校」と言うタッグ技みたいな高校の通い方を見つけてくれます。

なので僕の卒業高校名は「北豊島高校」と言う高校になるんですが、ここ女子高なんですよねwww

一瞬「女子高出身のおじさん」ぽいですが、そこがやってる通信制高校の卒業と言う事になります。

そしてサポート校と言うのはその通信制高校のカリキュラムを普通に高校に通うようなスタイルで補助してくれる「塾」の様な学校です。

東京国際学園(現:さくら国際高等学校)と言う場所に通っていました。

かなり特殊な高校なんですが、当時は学校法人でもなかったので、通うと言っても定期券が学割にならなかったんですよ!それでも制服着てクラスもあって、表面上は高校に通っていたような感じでした。

通信制高校のいい所は、ちゃんとレポートや試験でそれなりの成績を出していると、通信簿は「4」「5」だけで構成されるようになるので大学受験的には「推薦」と言う道が開けた事ですね

一般受験してたら絶対大学なんて受からなかった自身はある程、学力は低下してました!(高校3年間で家で勉強した時間が真面目に24時間に到達してないと思う)

んな感じで、通ってた高校の名前なんか出すだけで充分「うつ病」で大変だった歴史が証明しやすいのが、いいんだか悪いんだかwww

さくら国際高等学校について

このブログに検索で辿り着く方にはおそらく、お子さんの将来にお悩みの親御さんもいらっしゃるかと思います。また、現役でサポート校などにお子さんを通わせて、お子さんの将来を心配なさっている方もいらっしゃると思います。

そんな方の為にこの部分はありますので、それ以外の方は読み飛ばしてOKです。

さくら国際高等学校(旧:東京国際学園)は通信制高校のサポート校で、僕は25年程前にはなりますが、ここに通っていました。

人生の中でこの学校に行っていた事は本当に助けになりましたよ。精神的にボロボロな状態で高校進学も普通の学校は無理な時期でしたので、うちの母親は藁にも縋る思いでこの学校を見つけていました。感謝しかないですよね。

この後もしばらく人生的には大変だったりもしましたが、今は無事に独立した生活を営めてますし、家族も持てています。

また当時の友達をはいまだに交流がちゃんとあり、年に1回の同窓会は楽しみでもあります。

30代中盤ぐらいで皆吹っ切れるのかその頃の同窓会でやっと

「お前何年生から学校行ってなかった?」

「俺?俺は中三から」「俺は中2からだな」

なんて話が出来るようになってきますww
卒業から20年近くなってからようやくそんな話をするような感じです。

そのメンバーの中には誰もが耳にした事ある企業の取締役を務めている人間もいますし、みな独立した生活を営めています!

中学不登校は親御さんとしては将来が物凄く心配だと思いますが、長い目見ればまだ中学生です。その時に過ごせる環境を用意してあげるのも1つ将来に大きな財産になります。

僕ははっきり言って感謝してます。

波の激しい20代

推薦で大学に行けた僕は、高校時代を穏やかに過ごせたこともあり精神的には結構回復してました。

ので、大学生としては普通に通う事が出来る状態で、どういうわけかそこで「トライアスロン」を始める事になります。

とは言えトライアスロンをしている事以外の大学生活は極々普通です。大学生らしくたいして勉強なんてしてませんでした。運動のみ!

唯一特殊な事があったのは「交通事故にあって慰謝料が数百万」あった事ですね。

これを原資に「オーストラリア留学」と言う事が出来たのがのちの人生に大きな影響があったぐらいですかね(この「のち」はホントここ数年の話)

大卒後は当時は就職氷河期なんて言われる時代で、僕もまさに「ロスジェネ世代」と呼ばれる不遇の世代ですが、なんとか大企業に就職出来ました。

CMも流すような大企業ですが、名前は伏せます。

で、そこがゴリゴリの営業会社でしたねー。正直言ってついて行けなかった。甘ちゃんな「高校~大学」を過ごしていたのですっかり忘れていましたが、僕のメンタルはクソ弱いのです。

1年目の途中から完全にメンタルでアウト。いったん3ヶ月休職して復帰を試みるもやっぱり駄目で1年で辞めてしまいまし。

辞めた後数カ月休んで、大学時代のバイト先に契約社員として入って、そこは周りも知ってる人なので1年間お世話になりましたが、将来性は明らかに無い仕事内容だったので1年間ありがとうございます!と言う形で卒業してから親戚のつてで「アパレル製造会社」に就職します。

ここでも営業とかやってたんです。

短い期間とは言え「ゴリゴリの営業会社」にいた経験って意外と活きるんですよ。中小企業だとそこそこ出来る営業マン見たくなりますが、コネ入社にはそれはそれでまた別のストレスがあったりもします^^;

僕はここでもまた「うつ病」になります。

5年ぐらいは務めたのですが、メンタルの限界もあり辞める事になりました。

好きな事をする30代

アパレルをやめる頃には実は結婚はしてました。なぜ結構出来たのかは正直運が良いと言うか、奥さんにはマジで感謝で、僕がうつ病でどうしようもなくなっている時も支えてくれれ、うつ病が絶好調(?)の時に「どうにもならない時がある僕ですが結婚して下さい」と言う話を受け入れてくれたんですよねぇ。

いやぁ、よく出来た奥さんです。本当に感謝しかないですよ。

普通あんな未来が見えない人と結婚しないですよww

しかも結婚して、新婚旅行を終えた1週間後に「仕事辞めて料理人になっていいですか?」と相談したんですね。その頃もメンタルは割とよくない状態でしたので、奥さんは「このまま今の仕事は無理だろうな」とも思ってたみたいでOKしてくれました。

料理を選んだ理由は「好きだから」。この頃にはワインが一番の心の支え的な所があり、もう自分で店でも持つしかないな。と思ってたんですが、ワインだけじゃ出店厳しいので料理も!って思ったんですよ。料理好きでしたし。

あと収入は高くならないだろうけど、最低限「食いっパグれない仕事」だと言う思いもありましたね。もう稼ぐという意味ではあきらめの境地に達していたので、稼げなくていいから好きな事しようと思ったんですよね。

そこからは夜間で料理学校に通いながら昼間は「テレアポ」の仕事をする事になるんです。夜間学校があるので定時できっちり帰れる!これが働き口への条件でした。

メンタル弱ってた所ですが、どうしようもなくやらなきゃいけない状況と好きな事をやると言う事で、わりとメンタルが安定してきます。

僕の場合はどうも「好きでもない事が頑張れない」と気が付いたのがこの30歳の時ですww

それと共に人生で3回も鬱でお休みするとですね「俺はこんなもんじゃない」的な変な男のプライドとかもうボッキボキなんですよ。何かメンタルに負荷がかかるような事があったら逃げよう!プライドなんてくそくらえだ!と言うある種「開き直り」に近い、精神的に追い込まれた結果としてなったんですよね。

無事、料理人になってからも職場には猛烈な先輩がいて「半いじめ」みたいな状態にもなった事があります。ここも辛かった。店は入って3ヶ月で辞めようかどうか迷って思い切ってその店の社長に相談したんですよ。

そしたら社長が何を思ったのか先輩の方を切ったんですよ。これはめちゃくちゃ助けられました。元々問題が多く、とにかく新人が辞めてく店の構造改革で迷ってた所だったみたいで、思い切って賭けに出てくれた感じです。

ここは本当に人に助けられたところです。この助けてもらうのも変なプライドがないから出来る事だと思いますね。男って若い時とか変にプライドがある時には、これが出来ないんですよ。

そこからは無事に働き続け、子供にも恵まれるんですが、子供産まれると今度は「子供との時間」問題に直面します。

やっぱり飲食店って労働時間長いんですよ。朝は9時出勤ですが、退勤は23時ですもの。しかも週休1日。ちょうぜつブラックですよねwww

好きな事なので、仕事自体は別に苦ではなかったんですが「子供」がいると子供と接せない事が苦になってきます。

そこでワイン屋さんに転職する事になります。

人生最大の危機はコロナ

ワイン屋さんでは営業マンとして働くわけですが、営業マンするの6年ぐらいブランクあったかな?しかも歴代営業マンではメンタルをやられているので、正直不安もありました

何よりも嫁も不安そうでした

ただ今までの営業と違って「ワイン好き」何ですよね。好きな事なら何とかなるか?と思って飛び込んだんですがこれは割と本当に大丈夫な選択でした。

好きな事なら営業も出来る事がこの辺りでようやく自分の中で明確化してきます。既に35歳ですwww

この会社がベースの給料は大卒初任給で、後はインセンティブで稼げ!って言う制度の会社だったんですが、まぁまぁ平均以上の給料はもらえていました。せっかく順風満帆な風にようやく乗れた。人生安定してきたぞ!と思った矢先に訪れたのが「コロナ禍」って奴ですね。

先にも言ったように僕の会社はインセンティブ制で、しかも飲食店卸専門ワイン屋さん・・・飲食店はアルコール禁止

インセンティブはもちろん無し。それどころか会社は倒産の危機

僕はと言えば

  • 幼い子供2人
  • 住宅ローン残り30年
  • 年収300万円

これはもはや詰んでる状態です。

ここで「やべぇぇぇぇっぇえええええええ!」ってなって始めたのがWEB制作です。

うつ病だった自分を差し置いても人生最大の危機はここだった気がします。それぐらい追い詰められていましたが、子供がいるからガッツが違うのか、変なプライドもなくただ「何とかせな!」と言う気持ちが勝ったのかわかりませんが「変なプレッシャー」を感じずにただただ副業に向けて邁進したんです

この辺は勉強開始して1月ぐらいの時に書いたブログでそのまま残してます。これから学習!と言う方には意外と参考になるかもしれません。

何とかまぁなったわけですよ

鬱病だって再起できる

これは僕を見てくれればわかると思います。

中学生から30歳ぐらいまで鬱を繰り返し発症してたおじさんですが、今は無事独立して社長です。

鬱病だって再起できるんです!

ただ、鬱の人は周りに相談するのが下手糞だったり、周りの人もどう接していいかわからない。と言う状態になりやすいです。

家の両親も相当苦労したと思います

何気ない一言で僕のメンタルは急にボロボロに崩れ落ちたりすることがしょっちゅうありました。今思えば「なんであんな事で?」と言う思いでも沢山あります。

よく言う「頑張れ」は禁句。みたいなのとはまた違うんですよ。なんかその人その人のこだわりポイントに浸食されると急に駄目になるとか、そんな感じでめちゃくちゃ処理が難しいです。

仮に自分の息子が鬱になったとしてうまく対処できるかは、うつ病出身の僕でも不安です。

それぐらい不安定な精神状態の時って触り辛いんです。

そんな奴が30歳過ぎるようやく「稼げなくていい」と言う心境にいたり、今もそうですが「稼げなくていい」と思っているので気が楽なんですよね。じ

気が楽になってからは何故か稼げてます。なんでしょうね。いつでも堕落して問題ないと思ってるからかもしれません。今の位置をキープしたいと言う欲もかなぐり捨ててるから気楽です。

ただ今は仕事が楽しいので色々やりたい事やってる。その結果がたまたま今の形になっています。

非常にありがたい事です。いろんな人に支えられて今の僕があるんですが、僕程周りに迷惑をかけてここまでたどり着いた人もいないでしょう!という自負があるくらい30歳過ぎまでは大変でした。

もう1度言います。

鬱からの再起は出来ます!

仮に僕みたいにうつ病で苦しんでる人の糧になってくれればと思い、このブログをしたためました。

頑張らなくていいです。生きやすい用にやって行けば40歳手前でも急に大きく人生が変わる事もあります!

むーさんの別サイト

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